• きようらきねんかん
  • 清浦記念館
  • 0968-46-5127
  • 〒861-0331
  • 熊本県山鹿市鹿本町来民1000−2
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紹介
熊本初の内閣総理大臣となった、山鹿市出身の清浦奎吾の偉業を伝える記念館です。清浦伯の一生を紹介するコーナーや直筆の書状、掛け軸などのほか、愛用の品々や写真など数多く展示されています。 山鹿が誇る偉人の歴史館です。

大正13年、清浦奎吾は75歳で熊本で初めての内閣総理大臣となりました。官界歴50年の後の出世です。
田舎から興し、苦学力行し藩閥も学閥も姻戚もないところから腕一本で総理大臣になったのです。
親の教えの四恩(親、先輩、友、時世の恩)を忘れず、清廉潔白で、高風清節の士としての生涯はまさに立派で、近年の政官の汚濁のニュースを聞くにつけ、清浦奎吾の生き方がとても尊く思われます。
嘉年3年の明照寺、大久保了恩の五男に生まれ幼名を普寂(ふじゃく)と名付けられました。
12歳の時、熊本市の浄行寺の養子となりましたが、青雲の心にもゆる彼は法燈を継ぐ気になれず来民に帰ります。
16歳の時、父母を説得して、日田(大分)の咸宜園の私塾に入門します。
広瀬淡窓の塾で、多くの英才を世に出したところです。
普寂は苦行を続け都講という塾生最高の地位につき、塾主の代範を勤めるまでになって、在園6年業成って意気揚々とふるさとの土を踏みました。
この頃、清浦奎吾と改名しています。

23歳の時、彼は志を立てて上京し、知り合いの埼玉県令をたより、埼玉県大教授心得に任ぜられます。
その後、風渡野小学校の校長として子どもたちの教育に力を注ぎました。役人としての能力にも長けていて、どのポストにいても上長にかわいがられ、また、じゅうぶんに応える手腕を持ち合わせていたため、42歳で貴族院議員勅撰、57歳には、貴族院議員を免ぜられ枢密顧問官となり、73歳の時、枢密院議長になりました。
そして、75歳で組閣の大命を拝し、熊本県で初めての内閣総理大臣となっています。
営業時間 [Shop houre] 9:00〜17:00
定休日 [Regular holiday] 月 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月3日
FAX
座席数 [Seat]
予算 [Budget] 一般・大学生270円 高校生以下70円
カード [Card] 不可 [NG]
駐車場 [Parking area]
備考 [Character]

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