• じんないあそじんじゃ
  • 陣内阿蘇神社

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紹介
 御祭神:阿蘇都比?命外十一柱
 祭礼日:不明
 境内社:紐解天神
 由緒:当社は、健磐龍命の妻阿蘇都比?命を主祭神として外十一柱の阿蘇の神々を併せまつる。勧請年月は不詳なるも、奈良時代(約1200年前)に創建せられ、この地方一帯(竜田、黒髪、清水、下南部)の鎮守として勧請されたと伝えられる。当初、阿蘇都比?命だけの勧請が阿蘇家より許されたので、「二の宮」と申し上げる。
 天文年中(約440年前)、菊池武経(阿蘇惟長の改名)の家士84人の一人、立田小太郎重徳(のちに将鑑と改む)が宇留毛村の白川小金淵の上に立田城を立て城主となった。阿蘇惟長と主従関係の間柄にある立田将鑑は、神社の近傍に諸士らと居住し、尊信篤く当社を敬仰し奉り、社殿の改修に力をつくした事蹟が伝えられている。
 神社明細帳に、天正年間(約400年前)、火災に罹り、社殿、記録、祭具等ことごとく焼失、ご神体の所在もわからなくなったところ、毎夜、楠の樹上に大きい光が輝くので、改めて見ると御神体であった。驚きかつ敬して遷座奉る、とある。
 江戸前期には神社に所属する神宮寺があった。寛文4年(1664年)の再建記録に、「卍再建南閣浮堤大日本国鎮西路肥後州鮑田郡立田陳内阿蘇大明神社一宇諸行普賢大士」と、あり、阿蘇都比?命のことを、「弥勒大士」と仏名が記され、供僧秀尊によってお宮が建て替えられている。その後は、宝暦7年(1757年)の宝殿修復では石原雅楽敏行、明和8年(1771年)から明和9年にかけての宝殿・拝殿修復は、吉永土佐守正六位藤原朝臣秀桓の神職が社殿の修理を加えている。
 明和9年の棟札によると、下立田、宇留毛、室園、万石、麻生田、楡木、弓削、下南部、陳内合わせて九ヶ村の産土神と記されている。別の棟札、文献では、上立田、立田本村、兎谷の村も見え、その年代によって氏子の範囲が多少異なっている。この中には産土神を祀る村もあり二重氏子の形態がとられ、当社はそれを統括する神社であった。時代の移ろいとともにその形態もしだいに変化し、大正年間まで続いていた白川対岸の下南部も離れ、現在は陳内だけの産土神である。
 阿蘇大宮司宇治宿弥惟典公御世、寛政5年(1793年)には、工藤伊津記管原明信がお家再興を許され当社神職に復した。同時に上龍田村三宮並びに三宮敷地の小社共兼帯したことが棟札に記されている。
 江戸末期から明治初頭にかけては弘化3年(1846年)に拝殿、嘉永4年(1851年)に宝殿、明治22年(1889年)に弊殿が再建されている。もっとも古い拝殿築後から150余年の歳月を経、傷みもひどく劣化腐朽が進み畏れ多い現状であった。
 …中略…
 古くから万民平穏、五穀豊穣、所願成就の神として人々の生活に幸福と恩恵を与えて下さる霊験あらたかなるお社として広く信仰を集め「二の宮さん」の尊称で親しみ敬われ、遠近からの参詣者の跡が絶えなく今日に続いている。
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